ニートの直観

大学1浪2留のダメ人間ワイが普段考えていることを書いていく。共感してくれたらうれしい。

自己啓発の公理ってあると思う。

なんか、「公理」とかカッコよく書いたけど、「公理」=「絶対条件」だと考えてほしい。

数学の個々の理論には、いくつかの項目が大前提としてあって、その項目に一つでも踏まえられていないと、その理論を認められない。

いま、世界を牛耳っている数学の理論つまり、定理は例外なくここから派生している。

 

で、自己啓発書の世界にも、正しいか間違っているかを判断する基準があって、それが、数学で言うところの「公理」と「定理」みたいな関係なんだと思う。

つまり、「絶対条件」の下に、無数の「人生の考え方」、「捉え方」、「成功の法則」みたいなものがあると最近考えてる。

当然、主観的ではなく、客観的、科学的な意味でね。

 

 

だから、その「絶対条件」さえ知っておけば、「この自己啓発書や考え方」は正しいのかインチキなのかが見分けられるということ。

 

たくさんの自己啓発書を読んで、正しいと思ったものに共通する項目があるとすれば、

 

①社会や他者との関係にリンクしていること

②行動と思考を一致させるという現実的な視点があること

③凡人目線で書かれていること

 

これら3つを踏まえていないと、あまりいいものではないし、詐欺だと思っている。

その最たるものが、「引き寄せの法則

それは、望むものをはっきりイメージして、心をワクワクさえて、思考すれば、自然と実現されていくというもの。

 

①社会や他者との関係にリンクしていること

踏まえられていない。所詮、人は社会の関係の中でしか生きられない。

なのに、まるで「私」が神であるかのように扱われている。

ようは、「哲学的ゾンビ」や「経験主義哲学」みたいなものを上手く作りかえたのだろう。こういう、他者や社会に壁を作る系の考え方はあり得ない。

一度、クラスでも職場でも孤立して見ろよ。マジで辛いからw

 

②行動と思考を一致させるという現実的な視点があること

思考が全てだ!みたいな書かれ方をしている。

もちろん、行動のついても言われているけど、結局楽に物事は進んでいくという雰囲気で書かれている点で、もう詐欺っぽい。

この「楽」を漂わせたらもうインチキ。

「楽したがる人間の性」を巧妙についたビジネス手法だ。

 

③凡人目線で書かれていること

凡人目線で書かれていない。現在売れている自己啓発系の9割は「あなたは天才」とか、「だれでも年収1億円」とか、「潜在意識だ」とか、いろいろ書かれているけど、そもそも、年収分布の統計を見てほしい。 

年収1億円なんて、0.1%にも満たないぜ。

でも、引き寄せの法則は、1万円稼ぐこと=1億円稼ぐことの難易度を同等であるかのように語る。 

まったくもってバカバカしい。そんなんなら、みんな金持ちになってるよ。

 

そもそも、考えただけでその事象が現れるわけがない。

イチローとかみれば分かるけど、極限のプレッシャーの中で、苦しみながら、偉業を達成している。

 

よって、詐欺です。

 

これらを踏まえている本があるとすれば、「Pha」や「ひろゆき」とかの方がまだ参考になる。

特に、Phaさんの著作は、ニートやINFPに適合している。

 

自己啓発書は否定しないし、心の栄養として学べる点はある。

でも、結局、最強の自己啓発は「行動し、他者と衝突し、傷つくことで学ぶこと」だと思う。

痛み無くして、何も得られない。

 

まあ、数学云々は、素人があまり踏み込んでいい領域ではなさそうだが、一つの思い付きくらいに考えてほしい

この世界に逃げ場所はない

この世界は監獄のような場所なのではないかと思う。

なぜ、監獄なのかというと、辛いことが絶えないからだ。

もちろん、ボクだけに限らず、この世界自体、どこかおかしな点であふれている。

戦争、飢餓、暴力、レイプ、殺人、疫病、自然災害…

どんなに克服したところで、また新しい不幸が起きるだけだ。

 

つまり、我々は囚人としてこの世界に送り込まれたのではないかという仮定。

囚人として生きるなら、何らかの報いとして罰を受けるために生きるのだから、

予め、その人が受ける「不幸」や「苦しみ」の総量は決定されているんじゃないだろうか。

だから、どんなに努力しようと、もがこうと、不平不満を言おうと、その総量は変化しないということ。

 

ただ、常に努力することで、自分をコントロールすることで、予め降りかかる不幸を分散化させることができるのではないか。

もちろん、努力=苦 なのだから同じ結局苦しいこと、不幸であることは変わらない。

つまり、我々には、2通りの選択がある。

 

例えていうなら、

 

「この瞬間快楽のために、高カロリーのものを暴食して、将来病気で苦しむ」

のか、

「いま、自分の食欲を律して、我慢して苦しむことで、将来起きる大きな不幸を防ぐ」

のか

 

その2通りだ。

  

この選択が絶えず我々の目の前に突き付けられているということなのだろう。

だから、この世界に幸福を期待することは間違っている。

努力は幸福になるためなんかじゃない。不幸を分散させるためだ。

 

そして、どんなにこの世界のため、他者のために、献身しても、結局自分のエゴにしかならないこの世界の構造は、我々は囚人だからで結論付くのではないか。

 

何も、自暴自棄になれと言っているのではなく、そう考えることで、適度な緊張感がでて、メリハリのある人生になっていき、大きな不幸を避けられる可能性があがるということだ。

つまり、それが幸福なんだと思う。

 

人間関係がどれだけ大切かが分かった。

高校時代に、孤立して以来、その辛さから、人は独りでも生きていけるとずっと思っていた。

そんなんだから、大学に入っても、人間関係は気晴らし程度のものとしか思っていなかった。

なぜ、リア充もオタクも血眼になって人間関係にしがみ付くのか、理解できなかった。

だから、孤独を貫いた。

 

けれど、留年し、うつ病になり、性依存症になり、いろいろ始めた習慣が続かない中で、どうして自分の人生がこんなにもつまらなく、孤独で、生きづらいのかを悟った。

 それは、人間関係が構築されていないから。つまり、社会とリンクされていないからだ。

おそらく、依存症を治したところで、うつ病を完治したところで、怠惰を克服したところで、人間関係をどうにかしない限り、生きづらさは変わらないだろう。

今まで、人生を変えようと、多くの習慣に手を出しては失敗し、つまらない思いをして生きてきた。

 

たとえば、筋トレ。

『プリズナー・トレーニング』という自重筋トレでバキバキになれるプログラムだ。

でも、続かなかった。

理由は簡単だ。

そもそも筋トレをする理由が、自己満足で、単にすごい人間になりたいというとても抽象的で閉鎖的な理由だったからだ。

一方、著者のポール・ウェイドは元囚人であり、収監当初、このままでは獰猛な同房者に殺されると思い、生き残るために、必死に体を鍛えた。つまり、監獄社会という社会とリンクしていた動機があったから、あそこまで超人になれたのだ。

一方、自分は実家暮らしで、平和で、何不自由ない自分に筋トレは必要なかった。

だから、続かなかったのだ。

 

他にもたくさんある。

無才の自分に少しでも自信を付けたいと、イラストの勉強を始めた。

アニメやラノベのような華やかな絵師の世界に少しでも近づきたかった。

でも、3日と持たなかった。

理由は、そもそもイラストを描く動機が抽象的なのと、結局のところ、「このままでは死ぬ」という切迫感がなかったからだ。

だから、続かなかった。

お金を払い、予備校に行き、そこで仲間を作り、お互いを高めらる状況を作れば、初めて一歩を踏め出せるくらいのものだと思う。

参考書は、アニメーターであり、アニメ私塾主催者の室井 康雄が書いた本だ。

彼があそこまでに、作画に集中できるのも、少しでも気を抜いたら、

「このままでは死ぬ」、

「ライバルに抜かれる」、

「仲間からバカにされる。」

という切迫した環境があったからだ。

現在は「先生」として活躍しているのだから、やはり、そのモチベーションが続いているのだろう。

 

この2人に共通していることは、室井康雄もポール・ウェイドも、自分はこれに人生を賭けて本当に良かったといっていることだ。

さぞかし、充実した人生を送り、楽しんでいることだろう。

そのような、一流の何かを得ることは、それだけ社会とどれだけリンクしているかで決まる。

どれだけ、リスクを賭けたかで決まる。

 

したがって、無才な自分に少しでも彩を与えるには、少しでも誰かと関わる必要がある。

これなくして、自分を開花させることは絶対にできない。

たとえ、他人に傷つけられようが、

バカにされようが、

酷い扱いを受けようが、

一時、退避することは必要であれ、結局のところ、

人間関係の攻略無くして、人生は攻略できないということだ。

 ボクは本気でそう思います。