ニートの直観

大学1浪2留のダメ人間ワイが普段考えていることを書いていく。共感してくれたらうれしい。

メンタルを強くするにはどうすれば良いか考えた。

現代社会では、スキルだの、個性だの、資格だの、能力だの、いろいろ騒がれているけど、最も重要なスキルは「メンタルの強さ」ではないだろうか。

 

ここでいう、「メンタルの強さ」とは、

 

・自分をコントロールする力

・他者の悪意に対抗できる力

 

の二つを指すし、両方兼ね備えた人こそが「メンタルの強い人」でだと思う。

ようは、「他者からの心ない言葉」や「新しい環境や物事に対する恐れ」に傷つかない、いや、傷ついても前進できる打たれ強さこそが最も重要なのだ。

ニートになる人々は、メンタルが弱い。それは、①、②とも欠落しているからではないか。

無理もない。どんなに才能があろうが、頭がよかろうが、身体能力があろうが、「メンタルが弱い」というたった一つに欠点だけで、全てが上手くいかなくなるからだ。

何をするにせよ、社会で活躍するとは、必然的に「メンタルの強さ」が必須となるのだ。

 

メンタルを強くするにはどうすればいいか。

頭でっかちのニートであるボクが考えたのは、2点。

 

①前日に予定していたことをしっかりとこなす。

youtubeのコメントに自分の意見を発信する。

 

 

①について、

メンタルの弱い人々は怠け癖が強いと思う。なら、逆をやればいい。徹底的に「言行一致」の精神を貫くべきだ。

たとえば、

明日は9時に起きると決めたら、実際に9時に起きる。

明日はランニングを10分間すると決めたら、実際に行う。

明日はオ〇ニーをしないと決めたら、本当にしない。

 

このように、感情や気分を軸にするのではなく、予定した「事実」や「原理原則」を軸に意思決定するのだ。

できたら、スケジュール帳に〇をし、できなければ×にする。

一週間ごとに〇の数の目標値を決め、その通りの「数字」を出すのだ。

その目標値に1つでも届かなかったら、徹底的に自分を責めるべきだ。許してはならない。

コツコツと確実に増やすことにより、徐々にセルフコントロールが身につくのだ。

 

 

②について、

ここでは、youtubeにコメントする。

だが、ただのコメントではない。すでに書かれているコメントに返信して、わざと正反対のコメント書くのだ。すると、返信が来るだろう。当然、反論のコメントや汚い罵倒のコメントが来る。それに耐える。そして、また、他のコメントにする。

ここで、ポイントなのは、あくまで他者に攻撃されることに慣れること。

よって、再び反論してはならない。一回言われたら止めにし、他のコメントに移る。これ以上やると、精神的に限界がくるからだ。

 

調子にのったコメントには、同じように誹謗中傷じみたことを書いてもいい。

匿名のコメントに匿名で返しても訴えられることはない。「しね」くらい言ってもいい。もちろん、その返信コメントもしっかりと目を通す。言って逃げてはならない。

 

自分の中にある偽物の倫理観など捨てろ。

それは、過去強者たちによって植え付け得られた都合のいい幻想だ。

捨てろ、燃やせ、破壊せよ。

ズタズタに引き裂き、その破片を投げつけ、そいつらの返り血を浴びるのだ。

 

さぞ、すばらしいものが見れるだろ。

 

ただ、名前を出している人やyoutuberや動画主に対する誹謗中傷はやめる。それは道徳的にも法的にも危うい行為だ。

また、2chは特定される可能性があるので、大人しくすること。

 

このように、他者に自己を否定されることにより、自分を客観的に見れるし、その攻撃を他人に向けることができるようになるのだ。

一応にして、ニートは他人を傷つけることを恐れる。

 

だが、社会は戦場なのだ。

 

他者を傷つけ、傷つけられの連続が社会なのだ。

 

そもそも、社会とは、道徳的共同体などではない。歴史を振り返れば分かるが、自分の安全を守るための、利害関係の集団でしかない。

 

よって、利害の不一致が起きた場合、攻撃されることも、することもありうる。

人を徹底的に責めるスキルがなければ、アマゾン地帯を裸で歩くようなもの。武器を持たなければいならない。優しいだけでは殺されてしまう。

 

社会生活とは、国際関係と同じ、策や論理や計算がものを言う地政学の世界なのだ。

youtubeのコメントに参加することは、これを学ぶのにいい機会になると思う。